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「ルアンパバーン憧憬」


 メコンのほとりに竹で組まれた小さな食堂がある。
崖のような高い土手から突き出るようにしつらえられた桟敷は、細長く15畳ほどの広さだ。
木の床は、たまに軋み音をたて、細い柱と手摺りだけの吹き抜けの食堂からは、緩やかな川面に映る沈みゆく夕日が見えている。
この店に5つあるテーブルの真ん中、いちばんメコン河寄りの席は、そよと吹き上げる川風が心地よい。
その風に誘われるままにラオスの餅米焼酎を飲むのが、一日の締めくくりの日課になっていた。

 1994年、タイ国境から友好橋を越え、首都ヴィエンチャンに初めて入った時の驚きを今も忘れることはできない。
高いビルもない。車の量など比較にならない。タイの田舎町より何もないのである。
さらにそこから、メコン河を船で上ること四日。
精霊たちが舞い踊り、仏と衆生が融合する町に出会う。
この町は、アジアのどこでも体験したことのない空気感を持っていた。
何かにやさしく包まれているような不思議な感覚なのである。
ここには、人工的に作られた派手なものは一切無く、ともすればどぎついと感じてしまうお寺の装飾でさえ、やわらかな光を放っている。
聖なる仏の町という意味を持つルアン・プラバン。
この感覚は、どこからくるものなのだろうか。
眼下に流れる命の河を眺めながら、この答えの出そうもないことを毎夕思っていた。

<早暁のワット・シェントン>

 早朝三時三十分。境内は恐ろしいほど静かだ。
時たま、「トゥッケー」と時を告げるように鳴く大トカゲの声と、犬の遠吠えが聞こえるだけである。
ペンライトの小さな明かりだけが、闇に包まれた境内を歩く唯一の頼りだ。
ただ、朝日を浴びて黄金に輝くこの寺の大屋根は、細い三日月と星明かりでその輪郭だけはかろうじて判別出来る。
夜露に濡れた本堂の石段に腰をおろし、約束の時を待つことにした。
 いかにも古い木戸の軋む音が聞こえる。
まだ眠りの中にいる僧侶たちを起こさぬようにとの気遣いなのか、遠慮がちに開けられた僧坊の扉から、初老の僧が出てきた。
僧坊の入口に掛けられたドラを静かに数回鳴らし、懐中電灯で足下を照らしながらこちらへと近づいてくる。
私の訪問をまったく聞かされていなかったのだろう。突然光の先に浮かび上がった私に驚いた様子。すいませんと頭を下げた。
 本堂東側の重い木戸の鍵を開け、明かりをひとつずつ灯していく。
内部はしだいに明るさを増し、剥き出しの白熱灯にワット・シェントンの降魔の仏は黄金に輝く。
開け放たれていく本堂の窓から明かりが洩れる頃、空は少しだけ深い藍色へとその色を変える。
 僧坊は本堂の東隣にある。 簡素だが伝統の寺院建築様式で造られている。
すぐ脇に高く伸びる椰子のシルエットとともに、東南アジア独特の雰囲気を醸し出している。
 本堂の扉をすべて開け終わると、今度は遠慮がなかった。各僧坊のドアを思い切り叩き、起こしてまわる。
若い見習僧たちもそれを合図に、眠い目をこすりながらもすぐに本堂に集まってきた。各々の定められた位置があるのだろうか、
経本を片手に整然と座していく。
ただ相変わらず眠そうだ。大きなあくびをする小僧もいる。
目が合うとあわてて真面目な顔をしようとするのだが、だめだめ思いっきり目が笑っている。
 やがて住持が現れ、本尊に一番近いところ、座して合掌する。
堂内の空気は一瞬にして張り詰め、法衣の擦れる音だけが聞こえる。
住持の低いところから高いところへと伸びゆく声をきっかけに、読経が始まった。
あれだけ眠そうだった見習僧たちも今は顔つきが違う。経が分からなくなるとすぐに経本を開き、なんとか付いていこうと頑張っている。
過ぎ去っていくこの刹那。本当に大切な時だとすでに知っているのだろう。 静かな時だった。
ゆっくりと重い調子で流れる経が、まだ外は夜の明けぬ本堂にあった。

 四十分ほどで朝の勤行は終わる。 僧侶たちはそれぞれの坊に戻り、僧衣の乱れを直し托鉢の支度にかかった。
この頃になると、夜空の藍に少しずつ陽の白が加わってくる。
境内の石畳にはすでに四人の女性が、裸足になって正座している。 托鉢は彼女らから始まる。
三十人ほどの僧たちの列は、東の山門を出てあっさりと町へ消えていった。
 ラオスの王都ルアン・プラバンは小さな町だ。二十分もあれば端から端まで歩けてしまう。が、市内には九十を越える寺が点在する。
 托鉢の僧侶たちが、それぞれの寺につながる路地から時を同じくして出現する。
ひとつひとつの朱色の色彩が着きつ離れつを繰り返し、緩やかにたゆたう。
永遠に連なるその朱色の流れは、淡く漂う朝もやの古都に繰り広げられる宗教絵巻のようだ。
 それぞれの家の前に、女は履き物を脱ぎひざまづいている。男は立ち、はるか彼方にいる僧侶たちを静かに待っている。
そこに響くのは、小鳥のさえずりと、穀物で一杯のリヤカーをいかにも辛そうに引っ張るオートバイの音。
たまに聞こえる この雰囲気を壊してしまいそうな金属音も、朝市の方向へと遠ざかるにつれ、一日の営みが始まる合図のようで心地よい。
 僧侶たちはもう間近だ。女たちは一度立ち上がり、身だしなみを整えてつま先立ちで正座した。
頭上には、竹で編んだ小さなおひつを頂いている。
餅米で山盛りになったおひつを胸まで下ろし、ひとつかみづつ僧侶が抱えた黒い漆色の鉢に入れていく。
僧は布施されるのが当前だという顔をしている。 一瞥もくれない。
布施をなすことが自身の徳となるので、確かにその通りなのだ。 ただその場で経を詠むことで返礼とする。
お布施は餅米だけではない。果物、総菜など、かなりの量になる。まだ入りたての小さな僧たちは、町を一巡りして寺にたどり着く頃には
もう鉢を引きずりそうだ。
 ワット・シェントンは、町を包み込むように流れるカン川とメコン河とが合流するところにある。
四百四十年ほど前に、セッタティラット(Setthathirat)王によって建立されたルアン・プラバンで最も大切なお寺のひとつだ。
ワット・シェントンとは、菩提樹(トン)のある町(シェン)の寺(ワット)という意味だという。
その名のとおり境内には巨大な菩提樹がある。また本堂南西壁面には、頂上に仏陀を頂いた菩提樹のモザイク画が、カラフルなガラスを使
って描かれている。
ベンガラ色の漆喰に埋め込まれたガラスの小片が、高度の高い熱帯の日光に煌めく。東南アジアにありがちな派手な色彩とは趣を異にして
いる。
やさしいパステルの輝きが、身体の締まりが溶けきってしまうこの地で、ひとときの安らぎをもたらしてくれる。
ワット・シェントンは、壮麗な本堂、王家の棺を運ぶ黄金の山車が納められている宝蔵庫、村人の暮らしを描いたモザイク画に包まれた
涅槃堂など、ラオスを代表する建築が訪れる者を迎えてくれる。
ラオス新年(ピー・マイ・ラオ)の日、境内には精霊が舞い踊り、仏と同居する信仰世界が現世に展開されるのである。

<大晦日と元日にはさまれた、不可思議な一日>

 ラオスの暦は、なんだか奇妙だ。おもな新年の祭は三日間にわたって行われる。
一日目(ム・サンカーン・ルアン)、それは去りゆく最後の日、つまり大晦日である。
三日目(ム・サンカーン・クン)、それは新しい年が始まる日、つまり元日だ。
それでは二日目は何の日だろう。どちら年にも属さない間の日(ム・ナオ)、つまりの年が生まれ変わる日なのだそうだ。

 新年に十日ほど前の四月初め、ヴィエンチャンで友人がこんな話しをしてくれた。
「新年の三日間のうち一日は、必ず雨が降り、雷が鳴り、強い風が吹く。」と 。
その時すでに、一月以上ラオスで過ごしていた。その間雨が降ったのはたったの二日だけだ。
なぜ降るのか、と尋ねても、「毎年そうなる。今年も必ず降る。」と笑って答えるだけだった。
しかし、ラオスの雨期は五月以降である。にわかには信じがたい。
ルアン・プラバンに移ってから聞いた話によると、それはこのような伝説に由来する。
 『新年、ナーガ(蛇)がルアン・プラバンの王宮前にあるプーシー山の洞穴から、炎の蛇の形になって降りてくるであろう。
それは、頭が王宮についてもなお尻尾は山頂の洞穴でとぐろを巻いているほど巨大であろう。ナーガは、やがて王宮の聖なる池に住む
ナーギと溶け合いひとつになり、この国に繁栄と幸福をもたらすであろう。』と。
 この蛇、ナーガは、雨を呼ぶ神としても信じられている。
つまり、プーシー山から姿を現す時、猛烈な風が吹き、雷が鳴り響き、雨を降らせるというのだ。本当に雨が降るだろうか。
新年の楽しみがひとつ増えた。

 大晦日、朝七時。この町の小さな郵便局の前からワット・タット・ルアンまでの道は、通り抜けるのもやっとだ。
一年でこの日だけ、それも昼までのたった半日の市が始まったのだ。
道の両脇一杯に出店が並び、おもちゃから置物、生活用品までなんでも売られている。日本の祭りとあまり変わらない風景である。
ただ、皆の目当ては、小鳥、小魚、そしてお釈迦様や八つの動物が描かれた吹き流しのような小旗だ。
ルアン・プラバンでは、日本のように十二支ではなく、八支で、自分の生まれた年の干支が幸せをもたらしてくれると信じられている。
ご一緒させていただいた宿の主人は、まず竹かごに入れられた小鳥を買った。今はたくさんの小旗の中から、真剣に絵柄を選んでいる。
しかし、手を引かれている息子の低い視線の先には、先ほどから魅力的なものが並んでいる。
小さな手に力がこもる。
彼は、やさしくなだめすかして、その小旗を手に渡す。
色とりどりの絵の具で描かれた、自分の干支の絵が気に入ったようだ。 旗竿を右手で突き上げるように握りしめ、家に向かった。
それは、午後まで私たちの宿に飾られていた。

 西に太陽が進み、いくらか過ごしやすくなった頃、メコンの岸は小舟で埋め尽くされていた。
乾期だけ現れるメコン西岸のシェングメンと呼ばれる砂地とを行き来する舟だ。
人々は買い求めた旗を手に、次々とメコンを渡っていく。
そこには、灰色の三角形の盛り上がりがいくつも見える。
舟が、対岸に近づく。灰色に見えていたのは、砂だ。砂山を無数に造っている。
家族で、そして恋人と、また友人たちと一生懸命砂山を造っている。
砂を盛り上げては、メコンの水をかけて固め、またその上に砂を盛る。
綺麗な三角錐に形を整えると、その周囲を砂団子で飾り、メコンに向かって扇形に開く参道のようなものを造る。
そして全体に白い粉を振りかけ、砂山の斜面に、サバイディー・ピーマイ(新年おめでとう)と指で書いた。
最後に、持ってきた干支の旗を立て、完成した砂仏塔を囲み合掌する。
合わされた手にある線香の煙は天上へと上り、祈りの言葉が砂山に浸みる。
 大晦日、人々は砂の仏塔の中にそれまでの年の悪業、悪運などを閉じ込め、良い年が来るように祈るという。
また砂山は、須彌山(しゅみせん)を表しているとも言われている。
メコンに向かって参道があるのは、メコンに宿る精霊に、悪いものを持ち去り、流してもらおうとの願いからなのだろうか。
 薄ぼんやりと煙った夕暮れの太陽に、無数の砂山と干支の旗がシルエットになっている。
水ぎわでは市場で買われた小魚がメコンへと返り、竹かごに入れられた鳥たちは暗くなりかけた空へ戻っていく。
シェングメンは、一年の終わりを告げた。

 ラーマヤナ物語黄金のレリーフが輝くワット・マイの境内には、仮設のお堂が設えられている。
赤色に塗られた細い柱が、屋根を支えているだけの簡素なものだ。
中央には、仏塔の形をした金色の厨子がひっそりと置かれている。その上部には、五メートルほどの金色の龍が寄り添っている。
内には小さな電球ひとつが灯され、仏立像が安置されている。
金色の龍の背には溝が彫られ、厨子よりも高くなった尾のところには、木組みの台がある。
人々は急な階段を登り、可憐な白い花が入れられた聖なる水を流す。それは溝を伝わり龍の口を経て、仏の頭部に注ぐ。

 年が終わりを告げるまで、まだ数時間を残している。もうワット・マイの境内には、もうだれも訪れるものはない。
大晦日だというのに相変わらずこの町の夜はまったく静かだ。
心地よく冷えた石畳に寝そべってみた。
仮堂の天井が大きな天蓋に見える。 短くなった線香の細い煙が宙に薄い糸を描いている。
片肘をつき向き直る。視線を上げ、プラバン仏が安置されるまで仮に置かれた仏の目を見る。
ずいぶん横柄な態度だ。 でもなぜか許される感じがした。
『宗教ってなんでしょうね。』小さく声に出してみた。
ワット・マイの小さな仏。何も言わない、何も語らない。
ただ静かに濡れて金銅の鈍い光を放っていた。

<蘇る精霊>

 新しい年へと変わりゆくどちらの年にも属さない空白の日、ルアン・プラバンの守り神でもあるプー・ニューとニャー・ニュー、
そしていたずら者の獅子シン・カップ・シン・コーンがこの世に蘇り、百人を超える僧侶とともにワット・シェントンへと向かう。
 タイやビルマにも、水かけ祭と呼ばれている新年の祭りがある。 しかし、ルアン・プラバンではそれらの国のように、互いに激しく
水をかけ合い狂喜することはあまりない。 すべてが穏やかに進んでいく。
 町の大通りは、精霊と僧侶たちを待ちわびる観客ですでに埋め尽くされていた。
人々の手には銀の器があり、中には薄黄色の水が入れられ、白い小花が浮かべられている。
そこからは、仄かに甘い香りが漂っている。
やがて行列が近づいてくる。見守る人々は、静かに腰を落とし、掌の中の器を膝元に置いた。
黒い傘で頭上を覆った三列の朱色の流れに、千切れた雲の隙間から午後の強い日差しが洩れてくる。
その光とともに、一団はあくまでも静かに過ぎていく。
衆生は合掌し、今年一年が幸せに送れますようにとの願いを込め、手やコップでやさしく僧衣の裾を濡らした。

 元日から二日が過ぎた。すっかりなじみになった河べりの食堂にやっと明かりが点いている。
「サバイディー・ピー・マイ」声かけてくれるおばちゃんの笑顔がなつかしい。
相変わらず床はギシギシとたわむ。
いつもの席は、すでに人が座っていた。店の中は休み明けを待っていた客たちで一杯だ。
「ここに座れよ。」と呼ぶ声が聞こえる。同じ宿に住む片言の英語を話すフランス人だ。
席に着きひとしきり話す。
「新年の内一日は、必ず雨が降って、雷が鳴り、強い風が吹くと言ってたのは、迷信じゃなかったね。ものすごい雨に二日目の夜、
電気も消えちゃったしね。ナーガ、まだ池にいるのかかもね。」
地元の人からすすめられる新年の酒に、二人ともいい具合に酔いがまわってきていた。
店には乾杯の声が絶えない。
テーブルの角に置かれたガラスのコップに、白い花のついた小枝が差してある。
聖なる水に入れられていたあの花だ。こころ憎い演出にまた杯を重ねる。
 今頃は、ワット・マイは大変な賑わいになっているに違いない。
たった3日だけ逢える純金のプラバン仏。 王宮から移され、人々の前にその姿を現した黄金の仏に、町中の人が集まり
水をかけているだろう。
この町の名前は、この仏の名を頂いてつけられたのだ。
そして、ルアン・プラバンのみならず、ラオスで最も重要な仏なのである。
 おやすみと言って、彼は帰って行った。 客はまだ半分ほど席を埋めている。相変わらずどこからともなく、杯が回ってくる。
 溶けかけの氷を指で回し、大晦日の夜、寝そべって見上げたワット・マイの仏のことを思った。
同じ場所に今はプラバン仏が居る。
あの仏はふたたび本堂の奥に戻り、いつものように人々を静かに見守っているに違いない。
私は、あの小さな仏が、プラバン仏の前座であるかのように思えて、なぜか無性に悔しかった。

 この席からはメコンは見えない。 たまに跳ねる魚の音に、今は流れ続けるその水を感ずる。
もしかしたら、やさしく包まれていると感じたのは、あの仏によってではなかったろうか。
いや、 たぶん・・・私が忘れてかけて・・・・・。
いかん。また酔いの輪廻に入ってしまった。
もう限界だ。宿に戻ろう。

 そういえばあの白い花は、何という名前だったのだろう。
聞くのを忘れてしまった。

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